67年式空冷ビートル・オーナー・ストーリー

旅行

フォルクスワーゲン・ビートル。

それは、ドイツがつくった最高傑作の車の1つだと思う。

私は、67年式空冷ビートルに乗っていたことがあるので、その体験を話していきたい。









ビートルは、私が、ニュージーランドに留学していたとき、購入した。

私は、当時、ニュージーランド最大の経済都市、オークランドのビジネス・カレッジに通学していた。

私のホームステイ先のノースショア・シティから、その学校までは、少し距離があったので、バスで通学することも出来たが、ビートルで通っていた。

通学当初は、別の車、メイフェア・ミニに乗っていた。

ミニを売却し、ビートルを個人売買で購入した。

個人売買の雑誌が当時、ニュージーランドにはあって、それで見つけた。







色は、パープルっぽいピンク。

まあ、女性向きのカラーではあったが、都合もあり、ビートルは興味がある車だったので、その車を購入することにし、オーナーに電話をし、アポイントを取った。

そのオーナーは、ニュージーランド人で、年齢は20代半ばくらいで、ブロンドのショートカットのおしゃれな雰囲気の女性だった。

待ち合わせ場所は、彼女の勤務先の会社の事務所がある建物の前のパーキング。








その日は、確か、土曜の午前中で、オフィスが集まるエリアだったが、人は他にいなく閑散としていた。

ニュージーランドは、通常、完全週休2日で、土曜は、

街の中心のエリアであっても、マクドナルドなどの一部の店舗を除き、すべての商店は、クローズしていた。

待ち合わせ場所に行くと、しばらくして、彼女が現れ、なぜだか、彼女の職場の同僚の男性を紹介された。

私は割と、物事には基本、慎重であるので、一通り、車の状態を点検した。








当時既に、その車は製造されてから、だいぶ年数が経っていたので、全体的に、サビなどの腐食が進んでいて、ボディの塗装も含め、至る所にレストア(修復)された跡があった。

古い車であるから、ある程度のダメージは覚悟の上だったが、想像以上にビートルの車体の状態は芳しくなかった。

購入後、数年は所有する予定であれば、おそらく購入はやめたと思う。




Driving a 1969 VW Beetle Bug HD – sights and sounds gopro




そのような車体状態であったが、日本への帰国までは、残るところ3カ月の短い期間であったので、思い切って購入した。

しかし、購入後は、想像もつかないような、ハプニングの連続であった(笑)。

その前に乗っていたミニもまた古かったので、ハプニングには、慣れてはいたものの、それを上回るような体験をすることになるとは、購入する、そのときには、全く考えもしなかった。

購入したあとのドライブは楽しかった。




Chantel and the 1952 VW Beetle





トランスミッション(ギア)はマニュアルの4速だったが、そのシフトフィールが独特だった。

変速するときの感じが、にゅるんとしていて、柔らかい、ソフトな感じで心地良かったのを覚えている。

エンジン音は、これも独特で、ご存知の方も多いが、バタバタとエンジンがまわり、このフィールもとても耳に聞こえが良い。







ストレスフルな日本の社会にいると、休みの日に車を運転するときには、リラックス出来る静かな車に乗りたいと思う人が多いと思う。

だけど、ビートルに乗っていた頃を思い出すと、私は、日本で乗っている自動車の静か過ぎで、かえって物足りなさを感じるのだ。

日本でも、スポーツカーや、外車の乗っている人たちは、このようなドライビング・フィール、独特のエンジン・サウンドを大事にしている人が多いように思う。









ニュージーランドで当時所有していた空冷ビートル(エンジンを冷却水を入れたラジエーターで冷やすのではなく、走行中に取り込む空気で冷やす構造)は、マフラーが錆びで穴が空いていて、かなりの爆音(それも好きだったが)で、まわりに迷惑だと思い、新しいマフラーに入れ替えることにした。

マフラーのタイプはスポーツタイプでなかなか小気味の良いサウンドを奏でた。

それで、そのサウンドを聞きたいがために、ウィンドウをオープンにして走行していた。





Teaching my 14 year old to drive her 1968 VW Bug





ある雨の日、街中を走っていて、十字路の交差点でハンドルを切って曲がっていたとき、何と、車が滑り出して、4輪ドリフトしてしまった。

普通にハンドルを切っただけであるにもかかわらず、車が滑り出したことに危機感を持ち、タイヤが原因と思い、4本のタイヤを全て、新品のダンロップのラジアルタイヤに入れ替えた。

ところが、タイヤを入れ替えた後、雨の日運転していて、ハンドルを切ったところ、また、まさかのドリフトが起こってしまった。

悩み、考えた挙句、この原因は、ショックアプソーバー(タイヤと車体の間にあり、道路面の衝撃吸収する、エアー、オイル、ガスが注入されているポンプのような装置)を入れ替える結論に達した。

これは、理にかなっていた。

なぜなら、66年式のオリジナルのショックアブソーバーは、極めて特殊であったからだ。

後部2本のショックアブソーバーは特に特殊で、後部座席に乗員がいない場合、タイヤが逆はの字になるのだ。

これが、タイヤを通して、車の駆動力(トラクション)が路面にしっかり伝達されず、路面摩擦が少なくなる雨天時に、タイヤが滑ってしまう理由だ。

マフラーと、タイヤを交換した、VWを扱うショップにまた出向き、日本製のKYBガスショックを4本入れ替えた。

何回もそのショップに行くはめになったので、段々、そこのオーナーと顔なじみになった(笑)。

その後は、ドリフトしなくなったことは言うまでもない。

ところが、トラブルはまだ続くのだ(笑)。

ある日、交差点で信号待ちをしていて、一旦ギアをニュートラルにして、信号が青になったので、ギアを1速に入れようとしたが、入らない。

仕方なく、2速で発進しようとして(以前、日本でダンプトラックのバイトをしていたことがあり、2速でも発進できるとの発想があったため)、2速に入れようとしたが、また入らない。

その後、3速、4速のポジションにギアを入れることを試みるも、全て入らない。さすがに焦った。

ところが、後続車はクラクションを鳴らすこともなく、なだらかな登り坂にさしかかる交差点の信号が青になり、私の車が動かないのを気づいているはずだが、気長に待っているのか。

その当時のニュージーランドは、まだ、60年代の車が至るところで現役として走行していた。

だから、車が故障して、路上で立ち往生することは、日常茶飯事であった。

そのためか、私の車が青信号になり、動き出さなくても、後ろに連なっていた数台もの車は1台もクラクションを鳴らさない。

優雅な時代だったなと思う。

日本だったら、その当時でも、速攻すかざずクラクションが鳴り、鳴り止まなかったのではないかと思うようなシチュエーションだった。

そのように困っていた私だったが、まだ手段が残っていることに気がついた。

それは、リバース、バックギアだ。

試してみたところ、なぜか、リバース・ギアには入った(笑)。

そこで、仕方なく、後ろの5〜6台の車にジェスチャーでバックしてもらい、私はバックしながら、路側に車を寄せ、退避することが出来た。

ふ〜うっ。

トレーラーに車を積み込み、ショックアブソーバーを入れ替えたショップに持ち込んで、調べてもらったところ、クラッチが限界の状態だったので、交換した。

しかし、トラブルは続く。

突然、エンジンがかからなくなった。

また、例のショップにBeetleを持ち込む。

ショップオーナー曰く、エンジンからオイル漏れがあり、スパークブラグにオイルが付着したため、点火しなくなったためだと判断された。

私が乗っていたBeetleのエンジンの状態は、オイル漏れがあり、決して良い状態ではなく、自分だったら購入しないと、ショップオーナーは言った。

彼は、もし、また、ビートル買うなら、買う前に見せてくれれば、良いエンジンかどうか教えてくれると言った。

この66年式ビートルは、実はもう1つ問題があった。

ステイしていた、オークランドは、海に面していた。とても綺麗な海で、イギリスから移民してきた富裕層は皆、ヨットやクルーザーを所有していた。

そのようなこともあり、オークランドはsails of the cityとも言われていたくらい、ヨットの愛好家が多く、住んでいた。

そのような地域なので、海が近く、海風で車が錆びやすいというデメリットを抱える地域性だった。

御多分に洩れず、私が所有していたビートルもまた、錆びが多く、ドアのヒンジ(ちょうつがいのところ)が錆びていて、大きな穴があった。

オークランドには、ハーバーブリッジという大きな橋があり、高速道路の一部で、私の通学の際には、毎日そこを通っていた。

ある時、そこをビートルで走行していると、ハンドルを切って、レーンチェンジをしたわけではなかったが、横風で、隣のレーンに、自分の直進する意思を無視する形で、スライドしたことがあった。

隣のレーンに車が進行していたら、あわや大事故になっていたが、事なきを得た。

そのようにトラブル続きではあったものの、足回りのカスタマイズを施し、愛着が深い車であり、楽しい思い出もたくさん出来た。

同じ、ホームステイ先にいた、香港から来ていた、元スチュワーデスの美人の女の子とデートをしたときにドライブをして乗せたことがあったが、この車は嫌いだと、厳しいお言葉を頂戴した(笑)。

日本に帰国する前に知り合った、関西から来ていた日本人留学生に無償で譲渡した。

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