フォード マスタング 66年式 クラッシックカーディーラーズ

フォードマスタングは、アメリカの名車で、日本でも人気車種だ。クーペとオーブンになるコンバーチブルがある。私は、ハワイで2度、コンバーチブルのレンタカーに乗ったことがあるが、海沿いをオープンにして走るのは気持ちいい。ハワイは日中暑いので、オープンにして走るには、しんどいが、朝夕は涼しくなるので、この時間にホロを開けてオープンにして走るのはおすすめだ。

今回取り上げるのは、1966年式のマスタング クーペで、マックイーンが映画で乗っていたものと同じ車だ。日本のケーブルテレビのディスカバリーチャンネルでやっている、クラッシックカーディーラーず(英語名:Wheel Car Dealers)の内容を紹介したい。この番組は、程度がそこそこの中古車を買い取り、修理して(レストア)、他の人に転売して利益を得るというシナリオ。この番組はイギリスの人気番組でとても長い年数やっている長寿番組。2人のメイン・キャストの1人であるマイクは若い頃から出演しているが、最近は、大分老け込んできた感じがする。残りの1人のキャストのエド・チャイナも番組当初から出演していたが、途中から降板した。このマスタングのときには、まだエドが車の整備を担当している。かなり腕の良いメカニックだ。エンジンまわりの整備から、パーツを自作したり、板金塗装までこなすマルチ整備工だ。私は彼が好きだったので、番組を降りたのは非常に残念だ。

このプログラムは、イギリス(多分ロンドン近郊のどこかの貸し整備場)で整備、撮影しているが、このシリーズくらいから、米国西海岸のカリフォルニアまでマイクが主にアメ車の買い付け出張に来ている。今回は、イギリスから、はるばるカリフォルニアに来て、直接売主の家に出向き、66年式マスタングを個人売買で購入した。ボディーカラーは黒。外装は、右フェンダーパネルに凹みと傷があったが、代替の左右フェンダーパネルをオーナーが自分でレストアする予定で購入していたパーツがあったので、それらもマイクが譲り受ける前提で購入した。アメリカ カリフォルニアの荒涼とした広い大地を突き抜ける広々とした道路をマイクが購入前に試乗した。

ハンドルを話すと、片側にハンドルが取られた。良くない兆候。ブレーキをテストするため、前後に車が走行していないことを確認する。ブレーキを踏み込むと止まりはするが、ブレーキの効きがどの程度か判断しにくい、フィーリング。両方とも問題で、値引き交渉の材料となるとマイクは判断し、オーナーと買い取り交渉を行う。

イギリスに船で輸送されたマスタングは、エドの待つ、イギリスのガレージにマイクに持ち込まれる。エドが66年式のマスタングを見ると、これまでの番組に登場した車の中でもベスト10に入ると歓迎した。

早速、エドがパワーステアリングのハンドルのブレを直すために整備を開始。パワーシリンダーをオイルを抜いてから外す。パワーシリンダーからのオイル漏れを発見。中にほこりが入るのを防ぐ役割を果たすシールを交換する前に、シリンダー内を洗浄し、50年分の汚れを落とした。シールを取り付けるときのコツは、オイルを塗ること。また、シリンダーにブラックサテンを塗装し、錆びつきを防ぎ、見た目も良くする。点検時に外したダストカバーを取り付ける。それから、油圧オイルを補充する。オイルリザーバーを満たしたら、オイル抜きを行う。エンジンをかけて、異音がしなくなるまで、ハンドルを切る。そうすれば確実に装着出来る。異物が入ってシールが劣化したことによるもの。どこが悪いか確認すると、すぐにボールジョイントの緩みがもたらしたハンドルの異常と判断。ロアーアームと左右セットで交換し、ブレを解消した。費用は25ポンド足らずで済んだ。円換算で3千3百円ほど。

内装を綺麗にするために、マイクがアメリカ西海岸のマスタング パーツ専門店で、ダッシュブードのアルミ製のパネルと、ヘッドライトカバーなどを購入し、取り付けて、購入者へのアピールポイントとする。ここの店では、マックイーンが出演した映画グリットでマックイーンが運転していたマスタングのホイールそっくりのアルミホイルを1本125ドルで4本購入。イギリス帰国後取り付けた。

マスタングは、250馬力あるので、ブレーキの性能の状態が良くないのは不安材料であるので、エドは、ドラムブレーキの整備に取り掛かる。ブレーキシューを見ると磨耗している、シリンダーの状態も悪いので、シューの隙間を調整した。傷んだブレーキホースも交換した。もしホースが痛むと油圧が効かなくなり、ブレーキが効かなくなり、大変危険。こうして、リアブレーキとパワーステアリング不具合の調整を完了した。

次は、車の塗装のレストアに取り掛かる。前のオーナー購入したときは、ボディカラーがブラック。これをダークグリーンメタリックに変更した。ブリティッシュ グリーンは、イギリスのレースカーでは定番の伝統色。イギリス人への売却を考えれば、無難なチョイスだ。エドは、塗装工場にやってきた。エドは、塗装の時が一番ワクワクするとのことだ。やはり、ダークグリーンは、イギリスで良く売れる色とのことだ。塗装したことで、美しい仕上がりになった。

新品のエンブレムとクロームバンパーを、ポールの手を借りて取り付けた。

そして、期待以上の状態に仕上がり、マイクもエドも満足だ。私もとてもいい車だと思った。リアからみた66年式のマスタングは、昔あったセリカのリフトバックにとてもよく似ている。近所の中華屋のオーナーがベージュのリフトバックに乗っていた。良い車だなと子供ながら思ったものだ。

出来上がったマスタングを映画撮影をする場所に持ち込み、マスタングに乗り込むマイクと、警察に扮したエドが乗るパトカーでカーチェイスの真似事をして楽しんだ。

購入費用は、1万3千ポンド、アメリカからイギリスへの輸送費などを足し合わせると、約1万8千ポンドだが、これは、マイクの想定内。息子と共同で買うという購入希望者に2万5千ポンドで値引き無しで売り、7千ポンドの儲けとなったというが、エドが寝る間を削って仕上げたのだから、それに見合ったものだろう。

投稿日: カテゴリー

トヨタ MR2 SW20 に乗っていたときのこと

会社に入社して2年目くらいのときに、トヨタMR2のG-Limited Tバールーフを買った。色は赤。色については、好みの分かれるところだが、自分のスポーツカーのイメージは赤だった。山口百恵が歌っていたのが、真っ赤なポルシェだったからでもない。幼少の頃、親の友達のおばさんに百貨店のおもちゃ売り場で買ってもらったブーブーが赤いジャガーEタイプだったからかも知れない。MR2はリトラクタブルだから、フロントライト形式は異なるが、左右の感じは似てなくもない。フェラーリと言ったら赤という人もいる。

 

 

MR2を選んだ理由は、そのスタイリングが大きな理由の1つ。フェラーリをデザインしたピニンファリーナが、MR2(SW20:エンジン型式)をデザインしたと言われている。MR2のサイドの流れるようなラインは、フェラーリのテスタロッサを想起させる。ミッドシップのエンジンが収まっている、ドライバーズシート後方にかけての外のピラーからリアエンドにかけてのラインと、リアボンネットのデザインもどことなく、同様にエンジンがリアに置かれているフェラーリと形状が似ているように思うのは私だけではないだろう。MR2のフロントマスクは、ヘッドライトが収まっているあたりから、サイドミラーに向かい伸びている、丸みを帯びた、どこかボリューミーな感じが、グラマラスな感じで、また、セクシーな感じ好きである。はじめて夜の街をMR2で流したときに、ヘッドライトが収まっていたボンネット下から出てきたときには、感動した。季節は秋だったので、上のTバー・ガラスルーフを外して、オープンにし、外の風を頭上からも感じた。とても爽快な感じだった。サイド・ウィンドウも降ろすと、秋の冷ややかな気持ち良い風が車内に流れ込み、体を包む。後方のミッドシップエンジンからは、低速ギアで回転数を上げると、心地の良いエンジンサウンドが後方から感じられるのは、ミッドシップエンジンの醍醐味だ。

 

 

ドライバーズ・シートは非常にタイトで、コックピットのようだ。センターコンソールは、ギア変速がし易いように、ドライバーがコンソールにひじをかけながら、シフトチェンジが出来るよう、高めにレイアウトされている。ただ、移動のために乗るための車ではなく、運転そのものを楽しむために設計された、当時の日本では、スポーツ性能を徹底的に高めるための工夫が到るところに施されている車なのだ。この車はもちろんオートマチック・トランスミッションの仕様もあった。だが、それを選ぶのは、もったいない。私は当然マニュアル・トランスミッションを選んだ。そして、そのシフトフィールに惚れ込んだ。トリプルコーン・シンクロが内臓されていて、シフト・チェンジを繰り返すごとに、そのフィールの小気味良さを体感出来るのだ。

 

 

MR2での、峠道の走りは最高だ。だが、コーナリングで、腰で回るような感じがするのは、AW11のMR2の方が強く感じる気がする。そういった意味では、AW11のコーナリングを友達の車ではじめて体感したときの感動は今でも忘れられない記憶として残っている。車重の軽量化が徹底して計られているということもあり、加速感も刺激があった。MR2の前に乗っていたホンダのCR-Xも軽量化が徹底されたスポーツカーで、その走りは最高だったのを今でも覚えている。

MR2は、エンジンが前になくフロント、ライトであるため、コーナーでの回頭性は俊敏かつ、非常に高い。フロントのボンネットを開けると、スペアタイアが入っているのが目につく。そして、標準で、ストラット・タワーバーが装着されていて、これが、車体剛性と、コーナリング性をより高めることに貢献している。フロントのトランクは、そのスペアタイヤを置くことでスペースの残りの余裕が殆ど無かったが、私は、ちょっとした洗車用具を入れていた。

  

 

キャビンの中は、二人乗りなので、後部座席が無く、薄いカバンが1つ入る位のスペースしか無い。Tバールーフを外すと、移動先に持っていくことになる場合、席の後ろに置くしかないので、そうすると他のものを運転席・助手席の後ろに置くことはでき無い。そういった利便性を敢えて捨てることで、スポーツ性を高めているのである。実用性の優先度は低くし、走りを追求する姿勢は賞賛に値する。中途半端なところを徹底的に削ぎ落とす、この潔さが私は好きだ。サイド・リア・パネルには、エアー・インテークの穴が空いているが、このデザインも洗練されていて、好きなパーツである。スポーツ感が高い。後ろのウィンドウは、後部座席が無いので、昼間でも全く見えない透過度のスモークを貼って、プライバシーを確保した。これがあることで、渋滞中でも心置き無く、隣の愛しい彼女とキスをしたり、いちゃいちゃ出来た。

 

 

エンジンはノーマル・アスピレーションNA:自然吸気で、ターボなど過給機などは無かったので、ラグ無く低速から加速出来る心地よさがあった。170馬力は必要かつ十分なパワーだった。当時としては、パワーのある部類である。先輩のトヨタ・スターレツト・ターボが前方を走っていて、私が後方から来ているのに気づいて急加速をした。かなり速かったのを記憶している。当時、スターレットは、スポーツ・ドライブを重視する友達に人気があった。足回りを替えて、ラリーに参加している友達もいた。

近所の先輩は、ギャランでラリー仕様にしていたが、私がMR2に乗っているのを見て、ジムカーナをすすめてきたので、興味があったが、その後、やることはなかった。かといって、峠を攻めに行く走り屋だったわけでもない。すぺてノーマル仕様で乗っていた。ホイールやマフラーを変えることも考えたことがあったが、結局、そのまま乗っていた。

 

 

リアのエンジン・ルームはかなり狭いスペースにぎっしりと、様々なパーツが詰まっているがために、上から届きにくいパーツの交換の場合、一旦、エンジンまわり一式をボディーから切り離す必要がある。その場合、時間換算の工賃が高くつくことがあるので、中古の購入を検討している人は、走行距離と整備記録を照らし合わせて、その該当パーツの交換時期に来ていないか確認することが必要だ。

タイヤは前後は、ノーマルとしては珍しくサイズが異なるものだった。扁平率は、前が55、後ろが50だった。フロントが前後のタイヤので幅が異なり、前輪が小さかったので、その分フロントがリアよりも車体が下がっていて、それがまたカッコ良かった。結構運転が荒かったので、タイヤの減りが早く、タイヤが減ってくると、扁平率とタイヤ性能の関係で、わだちが深い国道や高速道路では、ハンドルを取られやすく、よくヒヤヒヤした。

フロント・ライトでエンジンが後ろの場合、雪が降ると、ちょっとしたことで、スリップして、タイヤがロックする。タイヤがロックするとハンドルが効かなくなるので、危険だ。一度、高速を走っている途中で雪が降り出し、レーンのラインが見えなくなるほぢ、雪が降り続く中、30キロ以下でノロノロ運転して数十キロ走ったことがあった。高速運転中は幸いスリップしなかったが、一般道に降りて集中力が切れて、タイヤがロックし、縁石に当たって車が止まったことがあった。スピードは出ていなかったのでダメージはなかった。

一度、どのくらいスピードが出るか最高速度を試しに高速道路で走ったことがある。メーターは一応180キロまでついている。それを超えて、メモリがないところまで数センチスピードを示す針が進んだところで、リミッター(燃料供給カット装置)が働いて加速が止まった。180キロまでのメモリ幅から換算すると、190キロくらいまで出たようだが、車の挙動が著しく悪くなるようなことは無かった。車高が低く、空力抵抗を考慮した製作されたボディ形状であることにより、そのくらいのスピードが出ても耐えられたと考えている。フロントとリアにはスポイラーが標準で装着されている。Optionという車雑誌では、ドイツのチューナー、フィリティンガーが製作されたスポイラーキットが紹介されていて、とてもカッコ良かった。

投稿日: カテゴリー

ロールスロイス イギリス生産工場のハンドクラフトに見る車づくりの粋

ロールスロイス イギリス生産工場のハンドクラフトに見る車づくりの粋

JCOM-TVのディスカバリーチャンネルの車番組で、ロールスロイスのこれまでの歴史と、イギリス南部にある製造工場、の生産工程と、試乗のインプレッションが紹介されていた。

日本では、実業家や、タレント、歌手などが所有している。歌手では五木ひろしが、世田谷の自宅に所有している。彼は、演歌歌手としては不動の位置にいて、毎年NHK紅白のトリとして、招かれている。また、日本全国津々浦々、コンサートをして、稼ぎまくっているのだから、ロールスロイスの最新モデルを常に購入し、それを維持していくだけの資金、財産が豊富にあるのだ。高校のときの同級生が、世田谷の外車ディーラーに勤めていて、五木ひろしの車を担当している。最後に聞いた話では、ロールスロイスは5千万円ほどの車体価格である。紅白に参加するときには、このサバランで代々木のNHKホールに乗りつけるらしい。因みに彼の奥さんは、メルセデスに乗っていて、その車も同級生が営業、整備の担当をしている。

 

 

ロールスロイス社の設立は1906年で、大変歴史が長く、その伝統が今でも受け継がれていると言っても過言ではない。設立当初より高級車の生産をしていて、ドライバーズ・カー(自分で運転する車)ではなく、お抱えの運転手がいて、ロールスロイスのオーナーは、後部座席でゆったり寛ぐというのが、ロールスロイス社発足当時からのコンセプトである。イギリスでの発足当時は、イギリスの貴族、アメリカの実業家などが顧客であった。それは、基本的には、現在もその経営スタンス、製造コンプセプトは変わらないものの、最近では、顧客ターゲットを広げ、その年齢層を7歳ほど引き下げることに成功を持たらす、ドライバーズ・カーとしてのロールスロイスを高級車市場に投入し、成功した。それが、ロールスロイス レイスである。それまで、ロールスロイス所有者の平均年齢は、53歳と高めであったが、ロールスロイス社は、経営の存続の観点から危機感を強め、それまで長年に亘り踏襲されてきた、お抱え運転手付きの車から、ドライバーズ・カーの市場にも踏み込み、ロールスロイス所有者平均年齢を7歳引き下げ、46歳とすることに成功した。今後、当社の、ロールスロイス レイスにおける方針転換の舵取りが、経営状態にどのように影響を与えていくかは、今後のマーケット状況と、顧客層の好みの方向性次第ではあるが、ひとまずは、ロールスロイスの経営陣がほっと肩を撫で下ろす良い結果を得ることが出来たと言って良い。

 

 

後部座席にゆったりと座り、日頃の責任からくる重圧感から一時の開放感を感じたり、今後の仕事の在り方においての思索を頭の中で巡らせたりすることは、多忙な生活をきわめる人々にとり、生活の中の重要な時間の位置付けとなるということであるならば、ロールスロイスのこれまでの概念通り、ロールスロイスは、自らが運転するのではなく、後部座席に座り、運転手を雇い入れて、運転してもらうのが、この車の正しい在り方であるのだろう。

 

その一方で、車は、自分で操ること自体が素晴らしいことであり、人生や生活の一部に浸透し、スパイスを与えてくれる重要な要素なのである。そして、その楽しみが生活の中での優先順位が高いという人たちも多い。自分が持ちうる財産のなかで、その財産の多くを車に使うような車愛好家の人たちである。

 

 

ロールスロイス レイスは、ロールスロイス社がドイツBMWの資本により買収されたのちも、その生産工場は、イギリス ウェスト・サセックス州のグッドウッドに拠点を置いている。ロールス・ロイスの本社機能もここにある。

 

 

ロールスロイス・レイスを生産する、この生産工場には、特筆すべき特徴がある。一部の工程を除き、ロボットによる生産を行わず、1台を生産するのに実に3日以上を要している。現代の一般的な車の生産所要時間を考えると、とてつもなく時間がかかって作られている車なのである。

 

 

ロールスロイスの価値を考える。それは希少性。巷ちまたに出回っている台数が圧倒的に少ない。見かけるエリアではよく見る車だが、地方で見ることは皆無に近い。都内では、昼間であればオフィス街でロールスロイスを見かけることがある。夜では、高級料理店の前に停車しているのを時折見かける。だから、効率性を重んじて大量生産することに重要性はない。

 

 

生産台数の少ない理由は、基本、受注生産だからである。ボディーカラー、内装の色や仕様、ステッチなどは、世界各地にあるディーラーの店舗で客の要望や好みをヒアリングして、それを生産工場のある英国グッドウッドに伝えることも可能。しかし、例えば、シートの色は実に千差万別で、既存の色以外にもサンプルの在庫が無いような、色や素材を特別注文することが出来るシステムになっているのである。そして、イギリス グッドウッド本社には、オーダーを顧客から聞き取るスペース・カウンターがあり、そこで、専門スタッフと相談しながら、世界に1台しかない、ロールスロイス・レイスを作り上げることが出来るのである。

 

 

工場の車体の組み立てスペースでは、作業員が、たっぷりと時間を費やし、効率性ではなく、完璧性を目指して作業を坦々と行っている。流れ作業ではあるものの、時間に追われるようなトヨタのようなカイゼン方式とは、かけ離れた製造風景が工場内では展開されているのである。ボディ全体の塗装が終わると、特別な個室ブースにレイスが持ち込まれ、熟練の作業員が、手描きで筆を用いて、オーダーされた一台1台異なる色の1本線をサイドボディに入れる。手作業であるから、機械やロボットのように均一ではなく、かえってムラがあるが、それこそが、伝統ある技術を持つ熟練工がハンドクラフトで描く価値あるデザインとして、顧客に喜びを持って迎え入れられる車となるのである。

 

 

これは、たとえばレクサスが目指すような、効率性を重要視される工場でつくられる高級車とは一線を画すものである。このような工程でロールスロイスを作り上げる作業員の給与水準は、大量生産されている工場のそれよりも高いと思われる。

 

 

日本の大手自動車メーカーが大量生産をしている自動車の組み立てラインで働いている人たちは、期間工の雇用形態の人たちも多い。そして、50歳くらいになると、体力的なものが考慮され、雇い止めとなり、その後、仕事が見つからず、路頭に迷う人も多い。大量生産される車は高級車と比較すると、廉価であるが、その価格は、低賃金で不安定な雇用形態で働いている人たちの犠牲の上に成り立っている。

 

 

ロボットでつくられた車は、何か味気なく、冷たく、そして温かみが感じられない無機質な感じがする。ロールスロイスは、ロボットではなく手作業で、そしてハンドクラフトを多用してつくられている分、温かみが感じられる。

 

 

日本人は、世界的に見ても手先が器用な人種である。これまで、大量生産とその効率性により、日本経済を支えてきたわけであるが、これからは、その器用さを武器にして、効率性ではなく、完全性、伝統を用いたモノづくり、ハンドクラフトを重用する、産業構造に方針転換することにより、そこで働く人たちの雇用と生活を守ることが可能であるならば、それを目指すべきではないかと思った。

投稿日: カテゴリー

外車・車検 ドイツ車のケース

外車の車検というと、高額なイメージが先行するが、実際のところ、どうなのか、これまでの経験に基づき、具体的に掛かった費用を含め明示していこうと思う。

私が現在所有しているドイツ車は、VWフォルクスワーゲン トゥアレグ、2005年式、4.2リッター、V8(V型8気筒エンジン)、325hp(馬力)、エアサス仕様、サンルーフ付きである。2010年に5年落ちで、神奈川県のとあるVWディーラーから、1年保証に、さらに1年の延長保証を付帯して、合計2年保証で購入した。

待ちに待った納車日。契約を済ませて、車に乗り込む。ワクワク感が止まらない。キーを回し、エンジンがかかり、V8の甲高いエンジン音が耳に入る。しかし、異常に気がついた。納車早々、レッドの警告灯が3つも点灯しているではないか。さすがに唖然とし、傍らにいた担当セールスマンに、顔がひきつりながら、その状況を伝える。

セールスマン曰く、「こういうことも、時折あります」などと、常套句を展開し、その場限りの取り繕いとしか思えない説明が続く。ひととおり、弁解が終わると、信じられないような言葉を言い放った。「警告灯はついていますが、今日のところは、このままお乗りになって帰られますか?」との給う。さすがに、あきれて、「このまま帰れるわけがないでしょう。」とやんわり遮り、穏やかに、「店長呼んでくれる? 」と私は言った。

ガラス張りのショールームの納車スペースに車をそのまま置いて、話をするために、店内の商談スペースに戻り、セールスマンと店長を交え、3人で話を始めた。さすがの私も、怒りを隠しきれず、率直に、納車早々に警告灯がついた状況で車を引き取らせるとは何事かと詰め寄った。そこから、2時間近く、押し問答を繰り返すこととなった。

納車前には、多数にわたる点検項目の整備をすることになっていたにも拘らず、車両の不良を示す警告灯が1つではなく3つも点いたのだから、納車前の点検を実際に行ったかどうかについても疑義が生じるような状況。今になってみると、その場で契約を破棄して、その場を去るということでもよかったかもしれない。が、私としては、かなり気に入った車であったこと、初めてのドイツ車で、中古ではあったものの、320馬力を超えるハイパフォーマンスであり、気持ちが高揚していたこともあり、その車を購入することにした。

但し、あまりにもリスクが大きいと考えたので、その場で考え、既存の契約書、とそれに付帯する2年保証以外に、半年以内に重大な故障が発生した場合には、購入代金は返金し、車両を返却することを別途定めた契約書を作成をすることを購入条件とすること、店長に合意させた。

ドイツ車の故障で、万が一トランスミッションが故障し、修理が不可能な場合、パーツの交換と整備で100万円はかかる(実際に、VWパサートを購入して、半年以内にトランスミッションが故障し、修理代が支払えなかったため、車を廃車にしたケースを知っている)からだ。この辺りの年式の VW車によくあるケース。

その話し合いの後、購入した車は再整備のため、置いていき、代車の別のトゥアレグに乗って帰宅した。その後の納車のときに、警告灯がつかなかったことは言うまでもない。幸い、その後、トラブルもなく、2年目の車検を2012年に迎えた。

車検は、車の購入先であるフォルクスワーゲン・ディーラー。その2年前の購入時の走行距離は、2万5千キロで、当車検時には、3万5千キロだったので、1年に5千キロしか走っていないことになる。車検の総費用は、28万円。当初は32万円だったが、気を遣って、部品代を4万円割引いてくれた。

内訳としては、重量税4万、自賠責2万、工賃8万、部品代14万。金額の大きいところでは、バッテリーが5万、シェルフ(車内コンソール)3万、オートマチック・フルードと、そのフィルターで4万、ストレーナー1万、関連ガスケットで、1.5万、エンジンオイル2万といったところ。オートマ・フルードなどの交換は、冬季、低速走行(時速20キロ以下)するときにオートマの1速から2速への変速のときに、ギアが滑る感じだったので、整備することとなったため。今になって考えてみると、車検のタイミングではなく、それ以外の時期に保証を適用して、整備させるべきであったと考えている。

2回目の車検は、2014年で、その時点の走行距離は、4万7千キロ。2年で1万2千キロしか走行していない。少ないほうだろう。このときの車検では、アイドラプーリーが交換時期に差し掛かっていたので交換。それでも部品代と交換費用で合計1万円程度に収まった。総費用は、22万円。重量税4万、自賠責保険3万(値上がり)、工賃8万、部品代7万。このときは、ディーラーに出さず、都内の高級外車販売店系列の整備工場に依頼した。トゥアレグを持って行ったときには、フェラーリ、ベントレー、マセラティが整備を待って陳列されていた。かなり忙しい店だったので、作業が雑だった。事実、そこでの車検を終えたあと、自宅の車庫に車が駐車しているときに、突然、セキュリティー・アラームが鳴り出した。理由が不明だったが、この2年後の車検のとき、理由が判明。バッテリーのケーブルがターミナルから外れそうになっていたからだ。それに気がついたのは、2年後の3回目の車検に出した工場の整備士に指摘されてのこと。2年も気づかなかったのだ。事故を起こさず、良かったと思う。ターミナルの締め付けが甘かったと思われる。高速走行時に路面の衝撃でバッテリーが外れて、ハンドルが効かなくなったり、急減速で、後続車に追突されたら、最悪死亡事故になりかねない大変危険な状態であったわけだ。今考えてみても、恐ろしい。

忙しいショップ、いい加減なところに整備を頼むと命を落としかねない。気をつけた方が良い。当然のことながら、それから、そこのショップに一切頼むことはなくなった。

3回目の車検。2016年のときで、走行距離5万9千キロ。2年で約1万2千キロで、前回車検時と奇しくも同じ距離となった。総費用は、合計35万円。前回よりも13万円増加。主な理由は、前後左右全てのブレーキローターと、パッドを交換したため。当該ブレーキ関連パーツは、費用圧縮のため、OEM部品を採用した。気をつけなければならないのは、OEMメーカーの品質問題。OEMとは、この場合、フォルクスワーゲンの純正部品ではなく、純正部品の仕様に合わせてサードパーティーの車部品メーカーが製作したパーツのことだが、OEMメーカーには大きく分けると2種類あることに気をつけることが重要。まず、フォルクスワーゲンのように車のメーカーが正規のOEM部品として認可しているメーカーがつくったOEM部品。そして、もう1つは、車メーカーが正式に認可していないメーカーが生産したOEM部品。こちらの認可を受けていないパーツは、部品の耐久性や性能が劣るケースがあり、ブレーキのような保安部品(車を制動する(停める)ような安全に関わる部品)の場合、走行中に破損して、車が停止出来ないような状況を招く危険性もあるということ。それに対し、純正部品の中古部品はどうだろうか。何年か走行した後の車から取り外した部品であるため、ある程度磨耗していることは考えられるが、性能や耐久性においては、車メーカーに認可されていないOEM部品よりも優れていると言えるので、中古部品が大量に流通している欧米では、認可されていないOEM部品の新品よりも中古で値ごろ感のある価格の純正部品が好まれるケースが多い。

参考までに、私が購入したOEM部品のデータ(正式にVWが認可しているかは不明)を以下列挙する。ただし、私が購入したメーカーが必ずしも性能や耐久性を保証するものではないので、各自、自己責任において、購入の検討、判断をいただくよう、お願いする。

注文日時:2016年10月16日 21時46分

商品名:Febi Fブレーキパットセンサー
純正No:7L0 907 637
OEMNo:23360
価格:¥1,980
数量:2
小計:¥3,960

商品名:Zimmermann Rブレーキディスク左右セット
純正No:7L8 615 601 C
OEMNo:600.3229.20
価格:¥22,800
数量:1
小計:¥22,800

商品名:Zimmermann Fブレーキディスク(左)
純正No:7L6 615 301 D
OEMNo:600.3224.20
価格:¥12,400
数量:1
小計:¥12,400

商品名:Zimmermann Fブレーキディスク(右)
純正No:7L6 615 302 N
OEMNo:600.3225.20
価格:¥12,400
数量:1
小計:¥12,400

商品名:Zimmermann Fブレーキパッド
純正No:7L0 698 151 S
OEMNo:23692.165.1
価格:¥16,800
数量:1
小計:¥16,800

商品名:Febi Rブレーキパッド
純正No:7L0 698 451 H
OEMNo:16619
価格:¥7,280
数量:1
小計:¥7,280
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商品合計:¥75,640
消費税:¥6,051
送料:¥650
お支払いの合計:¥82,341

注文は下記の会社から通販で購入し、直接整備工場に配達してもらった。

YELLOW MAGIC
〒130-0022
東京都墨田区江東橋1-10-10
TEL:03-6426-1600  FAX : 03-3846-8552
info@yellow-magic.jp

上記のOEM部品番号の上にある純正部品番号は、ディーラーに車検見積もりを出すとその明細書に明記されているので、それに対応したOEM部品だと分かるようになっている。

ただ、私が購入して装着した、このブレーキ一式の使用感については、あまり満足感がない。理由としては、交換前の純正品と比較して、性能が低下したように感じるからだ。具体的には、制動距離が伸びたように感じる点。ディスクローターは、交換前の純正品は、まだ暫くの間使用出来そうだったと整備工場長から聞いたので、もう少し待てば良かったと思った。この型式のトゥアレグのブレーキキャリパーは有名なメーカーであるブレンボ製なので、ブレーキシステム全体の性能は高く造られている。理由は、車両重量が2.7トン近くあり、メルセデスのSクラスのロングよりも重いから、その分強力なブレーキが必要であること。2つ目の理由としては、320馬力を超える、ハイパワー車であること。スピードメーターは純正で、320キロまでの速度計の目盛り設定となっていることから、ドイツのアウトバーンなどで、300キロ近いスピードからでも、車を制動するブレーキ性能が要求されるためと考えられる。

この3回目の車検のときには、バキュームパイブに亀裂があったため、交換せず、補修のみ施し、延命措置をしていて、それに約3万円かかっている。加えて、運転席エアバッグの配線修理に約1万円。ドレンホースの清掃(これをやらないと雨漏りすることがある)に1万。

以上の整備と部品代で、合計約25万円。残りの10万は税金、保険など。

外車の車検は高額になるから、ディーラーに頼まず、他の民間整備工場に依頼する場合でも、まずは、ディーラーに車を持ち込み、見積もりを出してもらうことをおすすめしたい。なぜなら、ドイツ車は、高性能ゆえに、パーツの寿命が国産車よりも短いため、思いもよらぬときに、部品交換に必要性が生じ、車が立ち往生するケースが多いからである。車は必ずしも、自宅近辺で不具合を起こしてくれるとは限らない。遠出をして、自宅から何百キロも離れていれば、たとえ仮に、搬送車やレッカー車で、自宅近くの整備工場に持ち込めたとしても、旅行中なら、旅行の日程を変更しなくてはならなくなるし、冬季に積雪のあるところであれば、レッカーもすぐに来てくれることを期待出来ない。山奥なら尚更だ。夜間で積雪地帯であれば、翌日にならなければ、路面凍結の状態であれば、車両の移動も出来ないかもしれない。そのようなことを考えると、部品の寿命が走行距離や経年年数によって、あらかじめ想定出来るなら、予防的に修理しておけば、限界が来て、出先で車が故障するよりかは、良いからにほかならない。

私の場合、自宅近くだったから、不幸中の幸いとも云うべきかもしれないが、ウォーターポンプが限界になり、オーバーヒートして、警告灯が点灯してしまい、車両重量が2.7トンで、レッカー車では牽引出来る重量を超えているため、搬送車を呼んだ。しかし、これが人里離れたところだとか、冬季の豪雪地帯の山奥だったら、ある程度自走して、街の近くまで降りてくる必要があったかもしれない。オーバーヒート状態で無理に走行すると、エンジンにダメージが加わるので、そのような事態は回避したいものだ。

このように考えると、ディーラーは、どのくらいの距離を走行すると、そろそろ、どの部品が交換時期に来ているかなどのデータの蓄積があるため、車検費用の見積もりを依頼すれば、車両状況を実際に確認したり、フォルクスワーゲン独自のテスターで不具合をコンピューター診断してくれるので、見積書によって指摘してくれて安心出来る。ディーラーではない整備工場もドイツ車用のテスターはあるが、メルセデスやBMW、AUDIなど他のドイツ車を含めた汎用性のあるものではあるため、特定のメーカーをより詳しく見ることが出来ない。メーカーが持っている膨大なデータベースにつなげるテスターでもないので、その診断性能は、圧倒的にディーラーが持つテスターが優位なのである。

見積もりは無料なので、見積もりが少し高いかなと思ったり、信用出来るOEM部品入手のあてがあるなら、自分で通販パーツを調達して、他のガレージに依頼しても良いのである。

参考までに、お伝えすると、2016年時の車検のタイミングで某フォルクスワーゲンディーラーに車検の見積もりを依頼したところ、合計89万円だった。

内訳は、ブレーキバキューム一式(工賃込み)で10万円(これが損傷しているとブレーキが効かなくなり危険なので、交換するしかないが)。

前述の私が購入したブレーキローターは、前後左右で4万7千円。に対して、ディーラー見積もりは、13万円で、7万3千円高い(ブレーキ制動力の差といったところか?)。私が購入したブレーキパッドは、前後左右で3万5千円。ディーラー見積もりは6万6千円で約倍の金額。合計約14万円の差額。

ディーラーの車検見積もりは、どこの部品を交換する必要性があるかを見るために有効である。

4回目の2018年の車検詳細。総費用32万円。このとき結局、前回合計10万円のブレーキバキュームを、約8万円で、交換した。ここの整備工場は、3回目のところとは違うところで、メルセデスのディーラーで長年整備を担当していた人が独立してはじめた工場。ドイツ車には詳しいようだったので、此処に依頼した。細かいところまで、よく気づく人で大いに助かり、安心して、車を運転出来る。ただ、このときに車両の下回りを点検したときに、エンジン下より、オイル漏れが発見された。漏れている量は、微量とのことで、すぐに直す必要はないとの話ではあった。オイル漏れの箇所は、リアクランクケースのリヤクランクシールが交換時期に来ていて、それを交換する必要性が次回の車検までに、走行距離や、他の兼ね合いであり得るとのことであった。問題は、このリアクランクシール交換のためには、エンジン一式(ラジエター、ウォーターポンプなど補機類も含め)と、トランスミッション一式を外す重整備になるとのこと。相当な手間と時間を要するため、工賃が場合によっては30万以上かかる見込みである。クランクシールのリア(後ろ側)とのことであれば、では、フロントはどうかと整備工場のオーナー(メルセデス整備出身、自家用車はベンスSクラスのロング)に尋ねると、時期が来れば、フロントも同様の状態になり、交換が必要とのこと。

この記事を書いているのは、2020年で、今年の秋車検だ。車庫に停車している私の車、トゥアレグの下にオイル漏れは無いが、エンジン下部は見えないので、詳しい状況は不明。

投稿日: カテゴリー

67年式空冷ビートル・オーナー・ストーリー

フォルクスワーゲン・ビートル。

それは、ドイツがつくった最高傑作の車の1つだと思う。

私は、67年式空冷ビートルに乗っていたことがあるので、その体験を話していきたい。









ビートルは、私が、ニュージーランドに留学していたとき、購入した。

私は、当時、ニュージーランド最大の経済都市、オークランドのビジネス・カレッジに通学していた。

私のホームステイ先のノースショア・シティから、その学校までは、少し距離があったので、バスで通学することも出来たが、ビートルで通っていた。

通学当初は、別の車、メイフェア・ミニに乗っていた。

ミニを売却し、ビートルを個人売買で購入した。

個人売買の雑誌が当時、ニュージーランドにはあって、それで見つけた。







色は、パープルっぽいピンク。

まあ、女性向きのカラーではあったが、都合もあり、ビートルは興味がある車だったので、その車を購入することにし、オーナーに電話をし、アポイントを取った。

そのオーナーは、ニュージーランド人で、年齢は20代半ばくらいで、ブロンドのショートカットのおしゃれな雰囲気の女性だった。

待ち合わせ場所は、彼女の勤務先の会社の事務所がある建物の前のパーキング。








その日は、確か、土曜の午前中で、オフィスが集まるエリアだったが、人は他にいなく閑散としていた。

ニュージーランドは、通常、完全週休2日で、土曜は、

街の中心のエリアであっても、マクドナルドなどの一部の店舗を除き、すべての商店は、クローズしていた。

待ち合わせ場所に行くと、しばらくして、彼女が現れ、なぜだか、彼女の職場の同僚の男性を紹介された。

私は割と、物事には基本、慎重であるので、一通り、車の状態を点検した。








当時既に、その車は製造されてから、だいぶ年数が経っていたので、全体的に、サビなどの腐食が進んでいて、ボディの塗装も含め、至る所にレストア(修復)された跡があった。

古い車であるから、ある程度のダメージは覚悟の上だったが、想像以上にビートルの車体の状態は芳しくなかった。

購入後、数年は所有する予定であれば、おそらく購入はやめたと思う。







そのような車体状態であったが、日本への帰国までは、残るところ3カ月の短い期間であったので、思い切って購入した。

しかし、購入後は、想像もつかないような、ハプニングの連続であった(笑)。

その前に乗っていたミニもまた古かったので、ハプニングには、慣れてはいたものの、それを上回るような体験をすることになるとは、購入する、そのときには、全く考えもしなかった。

購入したあとのドライブは楽しかった。








トランスミッション(ギア)はマニュアルの4速だったが、そのシフトフィールが独特だった。

変速するときの感じが、にゅるんとしていて、柔らかい、ソフトな感じで心地良かったのを覚えている。

エンジン音は、これも独特で、ご存知の方も多いが、バタバタとエンジンがまわり、このフィールもとても耳に聞こえが良い。







ストレスフルな日本の社会にいると、休みの日に車を運転するときには、リラックス出来る静かな車に乗りたいと思う人が多いと思う。

だけど、ビートルに乗っていた頃を思い出すと、私は、日本で乗っている自動車の静か過ぎで、かえって物足りなさを感じるのだ。

日本でも、スポーツカーや、外車の乗っている人たちは、このようなドライビング・フィール、独特のエンジン・サウンドを大事にしている人が多いように思う。









ニュージーランドで当時所有していた空冷ビートル(エンジンを冷却水を入れたラジエーターで冷やすのではなく、走行中に取り込む空気で冷やす構造)は、マフラーが錆びで穴が空いていて、かなりの爆音(それも好きだったが)で、まわりに迷惑だと思い、新しいマフラーに入れ替えることにした。

マフラーのタイプはスポーツタイプでなかなか小気味の良いサウンドを奏でた。

それで、そのサウンドを聞きたいがために、ウィンドウをオープンにして走行していた。









ある雨の日、街中を走っていて、十字路の交差点でハンドルを切って曲がっていたとき、何と、車が滑り出して、4輪ドリフトしてしまった。

普通にハンドルを切っただけであるにもかかわらず、車が滑り出したことに危機感を持ち、タイヤが原因と思い、4本のタイヤを全て、新品のダンロップのラジアルタイヤに入れ替えた。

ところが、タイヤを入れ替えた後、雨の日運転していて、ハンドルを切ったところ、また、まさかのドリフトが起こってしまった。

悩み、考えた挙句、この原因は、ショックアプソーバー(タイヤと車体の間にあり、道路面の衝撃吸収する、エアー、オイル、ガスが注入されているポンプのような装置)を入れ替える結論に達した。

これは、理にかなっていた。

なぜなら、66年式のオリジナルのショックアブソーバーは、極めて特殊であったからだ。

後部2本のショックアブソーバーは特に特殊で、後部座席に乗員がいない場合、タイヤが逆はの字になるのだ。

これが、タイヤを通して、車の駆動力(トラクション)が路面にしっかり伝達されず、路面摩擦が少なくなる雨天時に、タイヤが滑ってしまう理由だ。

マフラーと、タイヤを交換した、VWを扱うショップにまた出向き、日本製のKYBガスショックを4本入れ替えた。

何回もそのショップに行くはめになったので、段々、そこのオーナーと顔なじみになった(笑)。

その後は、ドリフトしなくなったことは言うまでもない。

ところが、トラブルはまだ続くのだ(笑)。

ある日、交差点で信号待ちをしていて、一旦ギアをニュートラルにして、信号が青になったので、ギアを1速に入れようとしたが、入らない。

仕方なく、2速で発進しようとして(以前、日本でダンプトラックのバイトをしていたことがあり、2速でも発進できるとの発想があったため)、2速に入れようとしたが、また入らない。

その後、3速、4速のポジションにギアを入れることを試みるも、全て入らない。さすがに焦った。

ところが、後続車はクラクションを鳴らすこともなく、なだらかな登り坂にさしかかる交差点の信号が青になり、私の車が動かないのを気づいているはずだが、気長に待っているのか。

その当時のニュージーランドは、まだ、60年代の車が至るところで現役として走行していた。

だから、車が故障して、路上で立ち往生することは、日常茶飯事であった。

そのためか、私の車が青信号になり、動き出さなくても、後ろに連なっていた数台もの車は1台もクラクションを鳴らさない。

優雅な時代だったなと思う。

日本だったら、その当時でも、速攻すかざずクラクションが鳴り、鳴り止まなかったのではないかと思うようなシチュエーションだった。

そのように困っていた私だったが、まだ手段が残っていることに気がついた。

それは、リバース、バックギアだ。

試してみたところ、なぜか、リバース・ギアには入った(笑)。

そこで、仕方なく、後ろの5〜6台の車にジェスチャーでバックしてもらい、私はバックしながら、路側に車を寄せ、退避することが出来た。

ふ〜うっ。

トレーラーに車を積み込み、ショックアブソーバーを入れ替えたショップに持ち込んで、調べてもらったところ、クラッチが限界の状態だったので、交換した。

しかし、トラブルは続く。

突然、エンジンがかからなくなった。

また、例のショップにBeetleを持ち込む。

ショップオーナー曰く、エンジンからオイル漏れがあり、スパークブラグにオイルが付着したため、点火しなくなったためだと判断された。

私が乗っていたBeetleのエンジンの状態は、オイル漏れがあり、決して良い状態ではなく、自分だったら購入しないと、ショップオーナーは言った。

彼は、もし、また、ビートル買うなら、買う前に見せてくれれば、良いエンジンかどうか教えてくれると言った。

この66年式ビートルは、実はもう1つ問題があった。

ステイしていた、オークランドは、海に面していた。とても綺麗な海で、イギリスから移民してきた富裕層は皆、ヨットやクルーザーを所有していた。

そのようなこともあり、オークランドはsails of the cityとも言われていたくらい、ヨットの愛好家が多く、住んでいた。

そのような地域なので、海が近く、海風で車が錆びやすいというデメリットを抱える地域性だった。

御多分に洩れず、私が所有していたビートルもまた、錆びが多く、ドアのヒンジ(ちょうつがいのところ)が錆びていて、大きな穴があった。

オークランドには、ハーバーブリッジという大きな橋があり、高速道路の一部で、私の通学の際には、毎日そこを通っていた。

ある時、そこをビートルで走行していると、ハンドルを切って、レーンチェンジをしたわけではなかったが、横風で、隣のレーンに、自分の直進する意思を無視する形で、スライドしたことがあった。

隣のレーンに車が進行していたら、あわや大事故になっていたが、事なきを得た。

そのようにトラブル続きではあったものの、足回りのカスタマイズを施し、愛着が深い車であり、楽しい思い出もたくさん出来た。

同じ、ホームステイ先にいた、香港から来ていた、元スチュワーデスの美人の女の子とデートをしたときにドライブをして乗せたことがあったが、この車は嫌いだと、厳しいお言葉を頂戴した(笑)。

日本に帰国する前に知り合った、関西から来ていた日本人留学生に無償で譲渡した。

クラッシックカーディーラーズ ベントレー

 

今日のクラッシックカーディーラーズは、イギリスの名車であるベントレー。

これが、今回マイクのお気に入りだが、塗装の状態が良く無いことを気にしている。


仕事の大事なパートナーで、腕の良い整備士エドに文句を言われるからだ。
それでも、お構いなしでマイクは車を売主から購入した。

 

 

 



売主の希望売却額は3250ポンド。既に価格としては安いとマイクは認識しているが、更に値切る気満々で3000ポンドを狙うとのたまう。

結果はいかに。

それでも、売主が値切りに応じなくても、3250ポンドで買う心算は出来ているというから、相当気に入った車である
ことは間違いない。

番組には、ベントレーに似つかわしい優雅なクラッシック音楽が流れている。

でも、確かに、そんな音楽がとても、よく似合う車であると言える。自分で乗るというより、運転手を雇って、自分は後部座席というのが理想ではあるが。





クラッシックのベントレーは、そんな雰囲気だが、最近のオーナーは、自分で運転する人が多いようだ。

マイクが購入前の試運転から帰ってくると、売主に足回りがよく、サスペンションが路面をよく捉えトラクションのかかりが良かったとの印象を伝えた。

しかし、ここでマイクは切り返し、塗装の状況が芳しくなく、直すのに、2000ポンドが必要であることを売主に強調し、売主もその必要性を素直に認めた。





マイクは早速、3000ポンドで売主と交渉を始めるが、売主は、この車の現在の価値は6000ポンド以上をくだらない


と反論する。そして、当初の売値呈示価格であるところの3250ポンドで売れないのであれば、無理して売るつもりはないとの強気の姿勢で交渉に臨んだ。

マイクは、売値の強気の姿勢を見てとって、売主呈示価格の3250ポンドで妥結、購入した。

車をメカニックのエドが待つガレージに運び、修理を開始する。再販するために。





シートは、革のコノリー。イギリスの伝統クラフトマンシップが感じられる。イギリスはこの手作業にこだわり、生産性の向上の機会を失い、アメリカ、

フォードの大量生産システムに遅れを取り、自動車産業の市場から徐々に淘汰され、その座をアメリカ、そして日本に奪われたといっても過言ではないと言えるのではないだろうか。





今回、エンジン周りの状態に不調はあまり無いようで、エドの腕を振るう機会が少ないこともあり、どちらかというと内装の修繕に重きが置かれることとなっているが、

エドは器用なので、エンジンまわりだけでなく、内装の修理をもこなしてしまう、マルチな才能を持ったメカである。





しかし、レザーシートの磨きは骨が折れる仕事のようで、不満が漏れた。

エンジンは、6.75リッターの大排気量。言いようの無い太いトルクが余裕の走り、クルージングを実現してくれる。長距離ドライブも疲れを感じさせ無い走りが、いつでも約束されている。



ターボもついていて、前オーナーが費用をかけて整備している。足回りやトランスミッションもしかり。
エンジンの好調な状態は、そのエンジン音からも感じ取れる。

投稿日: カテゴリー

ポルシェ タルガ クラッシックカー ディーラーズ

今回のクラッシックカーディーラーズは、ポルシェ2.7リッターの、911タルガ。
クラシカルなモデルだが、私は、このデザインがとても好きだ。
ルーフが確か、デチャッタブルで、取り外しが出来る。

超レアの車を取り扱う。

https://youtu.be/3URxMHR6Sf0

メカニックのエドは、まず、ルーフの隙間を発見し、難なく直した。

次に彼は、3速で異音がしたことから、トランスミッションの異常の可能性を疑い、何のためらいもなく、重整備に取り掛かり、
エンジンとトランスミッション全体を車体から取り外してしまった。
かなり、骨の折れる作業だから、嫌な作業だと思うが、エドは、異常を疑う箇所の修理に必要な作業とあれば、考える間も無く、その作業に取り掛かる。
途中、息抜きで、英国風にミルクティーを飲むかも知れないが。クッキーやショートブレッド、マフィンを頬張りながら。

点検の結果、トランスミッションの不調と判明した。そこで、エドは、パートナーのマイクに、トランスミッションを交換するので、代替え品の調達を頼むが、コストがかさむことから、マイクは嫌がる。

それ以外では、外装がアメリカンなので、クロームメッキのパーツは、フェンダーのシルバー部品を取り外し、ホイールのセンターキャップをサテン・ブラックに塗装したりして、外観の印象の変更を行った。リベットでがっちりついているパーツは、アングルヘッドという特殊工具で取り外した。いろいろな道具があるものだと、感心した。

この車は、1年前くらいに、再塗装をしている。

次に、ドアミラーを装着した。前に取り付けてあった場所は、綺麗にし、流用できる既存の穴は、そのまま新しいミラーの取り付けの際、利用した。

普段は取り付けにくい場所にあるスパークプラグも、このときは、エンジンを外に取り外しているので、簡単に交換が出来るので、早速作業に取り掛かった。ポルシェのマニュアルを片手に、電極の間隔も確認した。適正値だ。
ディストリビューター・キャップも視認し、汚れの無いことを確認した。ポイントもオッケー。
これら一連の作業で、大幅にコストを低減することに成功した。まだ、トランスミッションの問題が残ってはいるが。

油圧計も機能していなかったので、油圧計そのもののもんだいか、油圧ポンプの故障かを確認する必要が生じた。

マイクは、ポルシェの修理ショップに赴いた。シンクロナイズドのリンクの故障が疑われた。3リッター用のハブに改良することをショップで勧められた。急発進しても壊れ無いことを保証してくれるかというマイクの問いに、ショップ・スタッフは保証するとの回答。本来、この故障には、2千ポンドかかるとのことであったが、故障箇所は3速の部分だけで、走行距離も短いとの理由から、今回だけ特別に1千500ポンドで修理してもらえることになった。

出来上がったトランスミッションをポールに手伝ってもらい、ポルシェの車体に取り付け、エンジンまわりの修理、調整は完了したが、エンジン・オイルを
もともと入っていた、オイル粘度の5W-40に交換した。

作業を終え、エンジンをかけると、よい吹き上がり音がする。

投稿日: カテゴリー

ボルボ PV544 クラッシックカー ディーラーズ

ラッシックカー ディーラーズで今回取り扱う車は、ボルボ PV 544。

売主は、アメリカの多分カリフォルニアのどこぞかの大学で経済学の教授をやっている、初老の男性。頭は真っ白。いかにも大学の教授といった出で立ちだ。

冗談ではあるが、5−60年代の古い車で、自分が購入した価格を売却価格にしようとするマイクに対し、大学の教授は、インフレ要因も考慮に入れなければと返す。さすがは、経済学の教授、スマートな受け答え。

どうやら、キャブレターの調子が悪いようだが、古い車なので、この手のキャブレターを上手くチューニング出来る腕の良いメカニッカがなかなか居なくて、困っているようだ。

内装は、フロントのシートの張替えは行っているが、リアシートはオリジナルのままとのこと。ステアリングやドアトリムは少し、損傷があるが、概ね、良く手入れされているとのマイクの評。

https://youtu.be/virM3qDF6MM

整備記録は、購入後のすべてのものが揃っていたのを、それは金にも匹敵すると言ってマイクは喜んだ。
買い付けを行って、レストアする際に大いに役立つからである。

このボルボ544は、リアにかけてのデザインが特徴的で、今時の余り変わり映えのしない車に比べると、
独創的で魅力的だと私は思う。

トランクルームの状態もとても良く、綺麗だった。

マイクは、この車が一見、日曜の教会の礼拝に出席するため、お年を召したご婦人が大きな帽子を被って出かけるときに乗る車というイメージがあるが、耐久性に優れていて、50年代ごろには、世界各国でラリー・カーとして活躍していたとコメントしている。

試運転をさせてもらうと、マイクは、この車が何年もの間、外を走行することなく、ガレージで眠っていたのが嘘のようだと言うほど、エンジンは良い音を奏でている。

試運転した道路は、その昔、スチーブ・マックイーンが、マスタングGTOを駆っていたところだそうだ。

このエンジンの耐久性と信頼性は非常に高く、長距離走行の記録があるほどだ。
しかし、ツインのキャブレターの調整は簡単ではなく、2つを同調させるには、エドの腕が必要になってくる。

ギアの変速はスムーズだが、ブレーキの効き具合が余り良くなく、調整が必要。

教授がこの車につけた価格は1万ドル。ここから、マイクは交渉していく。マイクは8500ドルで交渉をはじめ、結局9000ドルで売買が成立した。

エンジンは4気筒、90馬力。

エアコンは無し。暑いカリフォルニアには少々きつい。ブレーキはドラム式。

計器類は、クラシカルで良い雰囲気。

キャブレターのチューニングを開始するにあたり、エアクリーナーを外した。
キャブレターのチューブが汚れていたので洗浄し、ガスケットを交換。
キャブレターの修理キットは200ドルほどで、数時間の作業で修理が出来る。
もちろん、知識と経験が無ければ、正確な修理はできないだろう。

アイドル スクリューを調整するため、まずは、動かなくなるまでスクリューを締めていく。
そして、1回転、半回転と、2つのキャブレターのネジを緩めて調整を加えていく。

スクリューを調整したら、エンジンをかけ、バランスを見ていく。
ここで使うのがシンクロメーター。空気の流量を計る。
これで同調させていくわけだが、あまり良い数字ではない。
ジェットスクリューも調整していく。目分量でピストンが少し上がったところで、数字を計測してみる。
エンジンの回転数が上がったままであれば、ガソリンの混合量がやや濃い状態を示す。

逆に、エンジンが止まりそうになるときは、混合量が薄い証拠になるので、適当な回転数になるまで、
チューニングを加えていく。

濃いので、少しナットを締めて調整した。良くなった。
こうして、キャブレターの調整は、無事完了した。さすがはエドだ。

投稿日: カテゴリー

レンジローバー シリーズ2 クラッシックカー ディーラーズ

今回のクラッシックカー ディーラーズは、レンジローバー シリーズ2。
今回の、レンジローバーのコンセプトは、サバイバルかーとしての完成を目指しているものである。

https://youtu.be/iHfajHeJO_c

そのため、組み上げの仕様は、これまで、やってきた普通の車のスペシフィケーションとは、大きく異なるものを製作している。

この車のシャシーは、とても、しっかり出来ている。頑丈なラダーフレームである。
ラダーフレームは、ほかの型のフレームとは違い、溶接しやすくなっている。
このフレームは、丁寧に溶接されていたが、サビが見られたので、エドが防錆処置を施した。

ブラストしたあと、部品を分解し、パウダーコーティングをした。これらの処理で、このシャシーは、あと何十年も大丈夫だというのだから驚きであるとともに、欧州車の耐久性の高さ、そして、そこに住む人々が物を大事に使う生活様式を今一度想起した。

日本では、一般庶民の景況感はそれほど良くはないとは思うが、依然として、新車や、新しい車が好まれている。同じ車を10年以上乗る人は、それほど多くはないのではないだろうか。

車としての安全性や、耐久性はあまり考慮せずに、燃費の良い車を選択する傾向があるようにも思える。
自分たちの、子供や孫たちの世代の地球環境が、人間に取ってより良いものとして受け継がれることに価値観を見出し、有害ガスを発生する、化石燃料に頼る必要の無い、電気自動車、水素自動車がもてはやされるのも、当然の成り行きではあるだろう。

自動運転の時代が来れば、急加速などで、無駄なエネルギーを使うことなく、目的地に到着することができるようになるだろう。

自動運転では、自分が車を操る楽しみが失くなるわけで、自分としては、受け入れがたいものがあるのは確かではあるが。

話もフレームの修復に戻すと、エドは、これらの作業に600ポンドほどのお金を費やした。

リフトでシャシーを持ち上げ、リーフスプリングを片側のシャシーに、次にジャッキに固定したアクスルにタイヤを取り付けた。そして、アクスルごとシャシーに転がしていき、ボルトでリーフスプリングに固定した。

リフトを下ろし、もう片側のリーフスプリングに合わせる。木槌でたたいて、はめこんだら、ボルトを穴に通す。

同じ要領で、後ろのサスペンションの取り付けも仕上げる。

エンジンにも手をつけ、オルターネーターも交換した。サスペンションについても、フロント、リアともに新しい物を装着した。

取り外し可能なハードトップも、他のところから探しだした。新しいものではないが、使用感のある雰囲気がまた良い感じを醸し出しているとマイクはの給う。

ルーフには、ルーフテントを取り付けた。虫やゾンビ対策になるとマイク。太陽光パネルも取り付けて、100ワットの電源として使えるようにした。

太陽光発電は、コントローラーとコンバーターがついていて、電気の使途により、電圧を変更することもできる。

サバイバルカーとして、必要なものは揃いつつあるが、水の確保も大事な要素。タンクを取り付け、ポンフを付帯し、フィルターもつけることで、何らかの形で吸い上げた水をろ過できる仕組みになっている。

こうして、他にも手を入れて、車を完成した。

投稿日: カテゴリー

ホンダ シビック CVCC クラッシックカー ディーラーズ



今回のクラッシックカー ディーラーズは、ホンダ シビック CVCC、77年式。

この車は、ホンダがまだ車を生産し始めて、間もないころのモデルだ。

この車のキャブレターは特殊で、プライマリーと、セカンダリーがある。
これらをエドはチューニングした。





マイクは、燃費を改善するため、混合器の状態をモニターするためのメーターをダッシュボードに装着した。

ボディも美しく修復した。

燃費の改善もうまくいった。
さすがは、マイクとエドのコンビだ。

私の近所の幼馴染の女の子がいた。幼稚園から中学まで同じ学校。彼女のお父さんがホンダに勤めていたので、家の車は、ホンダだった。

まったく同一のモデルだったかは、今になっては、わからないが、CVCCのハッチバックであったことは間違いない。濃いブルーの車が彼女の家のガレージに停まっていた。

彼女は、幼稚園の頃から男まさりの活発な女の子だったが、生意気で、小学生のときに同じクラスになったこともあったし、

家に遊びに行ったこともあったが、どことなく好きになれなくて、子供ながらに、ある程度の距離感を持って接していた。





中学生になり、私は、当初、軟式テニス部に入ったが、顧問の教師が気に入らなかったので、1年の夏休みが始まる前に、その教師に直接、退部することを告げたが、

了承したことは言ったが、それ以上のコメントはなく、少し、肩透かしをくらった感じがした。退部することを言えば、辞める理由や、引き止め、説教があることを多少想定していたが、そういったものが一切無かったからだ。

彼は、学生時代、ずっとテニスをしていたスポーツマンではあったが、一浪して、慶應大学の英文科を卒業した教師だった。

足腰を鍛えるために、毎朝遠くから、自転車で学校まで通っていた、堅物のイメージがあり、反抗期にある男子中学生からは煙たがられていた。





前述の幼馴染の彼女は、バレーボール部に入り、レギュラーのポジションを取って活躍していたようだが、年頃になって、男子に対して生意気な態度をとったりすることもなくなり、彼氏も出来て、しおらしくなった。





そんな彼女だったが、彼氏がいるにもかかわらず、私の家に放課後よく電話をしてきた。今になって考えてみると、私に対しては、気持ちとして、まんざらでもなかったのではないかと思う。家も近かったし、家に呼んだら、いい感じになったと思う。





その当時は、他にも仲の良い女の子が何人かいたが、特定の彼女はいなかった。付き合っているわけでもないのに、私の家に遊びに行ってもよいかと言われた。嫌いではなかったが、それほど好きでもなかったので、応じなかった。





確か、父親も教師で、今になってみると、それなりの信念を持って教職に就いたのではないかと考えている。





私は、引退時期まで陸上部に所属し、朝練、午後練と暗くなるまで、ひたすら、グラウンドを走っていた。そして、部活が終わると、くたくたになった状態で塾に向かった。





中3になってから、部活を引退すると、何か、心にぽっかり穴が空いたようになり、悪友と、昼は、タバコを吸ったり、ビールを飲んだりして、その心の隙を埋めていたように思う。





高校になると、その空虚感は、中3のときの楽しいクラスの反動もあって、ますます強くなった。

投稿日: カテゴリー